介護に関する問題は様々で100人の要介護者がいれば100のパターンがあると考えて間違いない、と感じる。例えば若年介護(介護をする人が若年と言う意味)と言う問題は大きい。もちろん人間として生まれ社会人として生活を営む以上、個々の問題は個々が解決すべきことだろう。
例えば収入が他の人よりも少ない、と言う問題は個人が解決すべき問題で、学力が低いために大学入試に失敗したという点も個人が解決すべきである。この様にすべての人間には個人で解決すべき問題は多々あり、いちいち挙げていたら大変な事になる。
だが「介護」と言う問題はこれからの少子高齢化社会を見据えた時に避けて通れない、政治的な課題だと思う。その一番の理由は「個人の力だけでは解決できない」と言う点に尽きる。介護だけに限らずすべての社会的行動には費用が発生する。
その費用をだれが賄うべきか? 日本全体でカバーをしあう必要があるだろう。となれば政府が先頭に立って介護と言う問題を解決すべきで、その為に刻人は血税と称される税金を払っているのだから。
さて本題に入ろう、若年層が行う介護にはいくつかの問題が発生する。一番は「介護に手を取られ進学や就職に影響が出る」という点ではないだろうか? 要介護者と一緒に暮らすと言う事は、本人が好まなくても介護をする必要がある。
となれば本来学業に専念すべき時間であっても介護に手を取られ思うような勉強が出来ず、結果的に進学できるだけの学寮が身に付かない。あるいは就職のために様々な調査をしたいけど、介護の為に思うような活動が出来ない、という懸念も生じるだろう。
例えば2014年5月2日付の中国新聞http://www.chugoku-np.co.jp/に載っていた(東京三鷹市、国際基督教大、研究助手)「松崎実穂」さんは「周囲に介護を理由に大学院に進んだとは言えなかった。適当な理由で就職よりも進学を選んだ、と思われるのがショックだった」と語っている。
松崎実穂さんの状況を簡単に紹介すると大学進学の為に親の実家に住んでいたが祖母と共に「認知症を患った祖父」の介護をする事になった。この事がのちの人生設計に影響を与えた、と語っている。例えば夜間にテレビの音量を最大にするという行為が睡眠不足を招くようになったらしい。
その他にも様々な出来事があり、昔気質の祖父はヘルパーさんに頼むことをぎりぎりまで拒み続けたとある。だがこのような状況にあるにも拘らず両親への相談が出来ずにいたらしい。自分が介護者だったと言う事を他人に言う事に躊躇いがあるらしい。
実際私も同じ立場なら(社会的な経験が乏しい年代と言う意味で)他人に対して、自分の家族が抱えている問題を気軽に話せる状況には成らないだろう。ましてやそれが友人、同級生、同僚であればなおさら自分が抱えている恥と勘違いして話す事はないだろう。
こういった問題を政府が解決する方法を確立する事が日本の将来を助ける事につながると私は思う。